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金山寺味噌について

〜〜〜プロローグ〜〜〜

長江(揚子江)の河畔の都市、鎮江には「金山寺」と[定慧寺」という二つの古刹がある。
中国仏教協会の理事であり、この地方の仏教界の重鎮である、「定慧寺」の住職は空海大師の時代から、定慧寺は天台、法相などの中国各派を兼学しており、中国仏教のすべてを学ぼうとした大師は、当然ここに寄ったはずだ。
といわれる。
 そして、「金山寺」には、空海大師をしのんで書かれた「詩」が書として、今も残っているという。
その書とは、三幅の掛け軸で、いずれもその詩の前に「空海上人修業古刹」又は「弘法大師修業古刹」と書かれており、かつて金山寺の住職であったと伝えられる「善性」という和尚の書であるという。金山寺は金山寺味噌の発祥の地であり、15世紀には雪舟様が訪れた寺としても知られる。

 【参考資料 : 毎日新聞社 1984年5月22日号 
                      
「空海 長安への道」より】

 今よりおよそ1200年の昔、弘法大師(空海)様が遣唐使として、唐(今の中国)を訪れました。
その際「金山寺」等にて中国仏教を学ばれ、帰国されました。
その後、四国高松の満濃池の修復工事や、各地の弘法井戸の伝説などで、うかがい知れるように超人的な能力を発揮されました。
その文武万能なる、お大師様が西暦804年当時、唐に渡られ修業された「金山寺」で、その伝統的な金山寺味噌の製造技術を持ち帰られたことは、明白なことでありましょう。

今、一説には、和歌山県由良町の興国寺の僧、覚心様よりその製法を伝えられたとするものもありますが、その年代から見ますと、覚心様なる禅僧の出来は、弘法大師様より遅れること400年以上も後世になります。

このような観点から私は、精進料理であり、しかも現在においても合理的な食品を、万事に有能な弘法大師様が見逃される筈はなかろうと考えます。

諸説、いずれにせよ、金山寺味噌のルーツは、今の中国の「金山寺」の僧房食にあり、その伝播者として、私は弘法大師様であろうと言う説を唱えるものの、この判定はタイムマシーンにでも乗って実証検分するしかなく、今はこのありがたい美味なる古代からの恵み物に感謝して、食させていただきたいと思います。

                           店 主 敬白

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